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ラピスラズリの海 第1回

夢を見ていた。
美しい楽園。
辺り一面の花、花、花。
その中心に立つ――キミは誰?
長い綺麗な髪。抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な体。
花の香りとは違う、甘く、いい匂いがした。

――天使。
不意に、その二文字の単語が浮かんだ。
翼は生えていないけれど、彼女が天使と言われたのなら、僕は納得してしまうだろう。
それほどに、その姿が可憐で、美しく、神々しく、眩しかった。

――微笑と視線が僕の姿を捉えた。
ふわり、ふわり――
その長い髪が揺れる。

彼女が人でないのならば、仕方ない。
僕がこんなにも魅了されてしまっても。

その瞳は優しく、妖艶で。

すっ、と手が差し出される。
細く白い、人形のように華奢な手。綺麗な指。
僕は、そっとそれを掴んだ。
まるでそうするのが自然であるかのように。

「おかえりなさい」

ああ、僕は囚われてしまったのだ。
この、人ではない誰かに。


「涼くーん?」

声が――声が聴こえる。

「涼くん」

その声は暖かく、優しく、まるで僕を包んでくれるように。

「えいえい」
ふにふに・・・。

「姫・・・宮?」
頬をつつく何かの感触。
ああ、これは指だ。
細く、白く、柔らかく、綺麗な指。
――僕が夢の中で掴んでしまった、あの。

「おはよ、涼くん」
いつだって、寝起きは良くない。
意識が覚醒するまで、少しの時間が必要だった。

「涼くんってばー」
ふにふに、ふにふに・・・。

ちょっとくすぐったい。
・・・でも気持ちいい。

「えいえいえいえい」
ふにふにふにふにふに・・・

「あ、ああ・・・」
いい加減起きないと。
いつまでも頬をつつかれっぱなしは不味いだろう?
・・・別にそれでもいいかもしれない。

「目、覚めた?」
「おかげさまで」
現実世界に戻ってきた感覚。
何より、頬をつつく指の感触がリアルに感じられる。

――だからこれは夢じゃない。

「いい夢だった?」
「・・・え?」
「えとね、幸せそうな顔してた」
そう言って、微笑む。
夢の中で見た、あの微笑みとどう違うのだろうか。

「ん、そうだな。悪い夢ではなかったのかな」
今度は泣いてなかったらしい。
・・・毎回毎回、泣いてるわけじゃないんだが。

「いい夢でよかったね」
なで、なで。
頬をつついていた指が、いつの間にか、僕の頬を優しく撫でている。
何度も、何度も。
気持ちいい。このまま再び眠りについてしまいたい――

「神谷くーん、姫宮さーん、ホームルームを始めてもいいかしら?」
先生の声で我に返る。
果たしてどれくらいの間、頬を撫でられっぱなしだったのか。
そう考えると恥ずかしくなってきた。

「もう、いいかな?」
「あ、ああ」
と言いつつ、その手は僕の頬から離れない。
だって、二人とも離す意思が無いのなら、しょうがないじゃないか。

「はーい、じゃあそのまま聞いてて頂戴ね」
あきらめたのか、呆れたのか、それとも楽しんでいるのか、先生はそのまま話を始める。

――結局、ホームルームが終わるまで僕の頬は撫でられっぱなしだった。

「涼ちゃーん? 随分と瑠璃と仲が良さそうだねぇ」
ようやく解放されたと思ったら、今度は絵里香からの激しい突っ込みが。

「そ、そんなことないよ、ね?」
普通だもん・・・と呟く姫宮に、何か言おうと思ったが、墓穴を掘りそうなのでやめておいた。

「普通ねぇ・・・? ま、涼のほっぺが気持ちいいのは知ってるしね」
うりうり、と僕の頬をつつく絵里香。さっきとは逆側だ。

「そんな、いい物でもないだろ」
「そんなことないよ! 気持ちいいもん。えいえいえいえい・・・」
今度は姫宮までも一緒になって頬をつついてきた。
いや、キミはさっきまで頬を撫でていたじゃないか・・・。

「ま、私も愛ちゃんに注意されたらやめちゃうけど」
「ううー、エリちゃんがイジワルだぁ」
そう言ってる間にも、えいえい、うりうり。もちろん両側から。

「んで、どんな夢見てたの? 幸せそうな顔してたよー? あ、瑠璃に頬撫でられてる間も同じ顔してたけど」
絵里香がにやにやしながら僕の瞳を覗き込んできた。
・・・どんだけ緩みきった顔をしてたんだ僕は。

「覚えてない」
ちょっと恥ずかしくなったので、つっけんどんに言い返してしまった。
・・・覚えてたとしても言えるものか。

「でもね、怖い夢じゃなかったんだから、いいよね」
「そだねー。あー、泣いてる涼ちゃんもそれはそれですっごく可愛いんだけどね」
そういえば絵里香には、何回か寝起きの姿を見られてしまった。
思い出して、更に恥ずかしくなる。

「むー、私は見たことないよ? エリちゃんだけずるい」
「いや、そこでずるいとか言われても、ねぇ?」
頼むから僕に振らないでくれ。返答に困る。

「なあ、あいつどうにかしていいか?」
「どうにかしてもいいけど、その後、この学園にいられなくなると思うよ」
「だよなぁ。俺だしなぁ・・・」
「ま、少なくともトシの頬を撫でたいって子はこのクラスにはいないよね」
「涼! お前は、何て主人公体質なんだ!」
島津と日下部に好き放題言われているが、ここはだんまりを決め込むことにする。

「えー? だってトシだよ? 触るのとかイヤじゃんか」
「・・・ごめんね、トシくん」
あからさまに、二人がトシから距離を取る。
がっくりとその場に崩れ落ちる日下部。・・・強く生きろ。

「じゃあさ、じゃあさ、涼の頬を撫でたい人は挙手ー?」
いきなり、絵里香がクラス中に向かって言い放った。絵里香は当然のように手を挙げている。
頬をつついていない方の手で。

「あのな・・・」
「うわ、わかってたけど、涼って大人気だよね」
もう放課後だし、絵里香の質問なんて誰も聞いてないだろう、と思ったが甘かった。
島津の言う通りなのか、クラス中で僕をからかっているのか、教室に残っていた女子全員が手を挙げていた。堂々と挙げているのは絵里香だけだが、他の人も姫宮みたいにおずおずと手を挙げている。ちなみに日下部は床に突っ伏したままだ。

「ちょっと待て、何で男子まで挙げている?」
「いや、挙げた方が面白そうだから?」
男子の一部から声があった。
・・・そういうクラスだったことを失念していた。
このクラスには馬鹿とお調子者しかいなかったんだ。

「あるぇー? 何気にあざみんまで手を挙げてるよね。ちっちゃいから気が付かな」
「ちっちゃい言うな!」
鈴村のちっちゃいレーダーが即座に反応した。

「あ、あのですね、深い意味はないんですよ? 何か皆さんが手を挙げられてたので、私もつい・・・」
「いや、いいんだ」
何かもうどうでもよくなってきた。
相変わらず両頬をつつかれたままだし、な。

「凄いね、涼くん。大人気」
「瑠璃も、うかうかしてたら誰かに取られちゃうよー?」
「あぅ・・・」
心なしか、頬をつつく指に力がこもったような気がする。
・・・心地よさには変わりはないが。

「んで、ここからが本題!」
じゃあ今までのは前座で、僕をからかって遊んでたただけなのか・・・。
いい加減、この状況に慣れてきた自分が嫌になる。

「夏休みになったら、海行こう、うみー!」
「海かー、いいね。去年は何だかんだで行けなかったし」
「俺も行くぜ!」
いきなり復活した日下部。その立ち直りの早さは見習うべきなのかどうなのか。

「もっちろん、涼もあざみんも一緒ね」
「わ、私もですか?」
「えー? だってあざみんがいないと寂し・・・じゃなくて監視役? 私とかトシとか何しでかすかわかんないよぉ?」
「し、しょうがありませんね・・・」
実際のところ、何をしでかすでも無いのだろうが、鈴村を誘う口実としては効果があったようだ。
それよりも・・・

「僕も、か?」
「あったりまえじゃんかー! 涼は見たくないのー? ぴっちぴちの水着ギャル」
「いや、そういう話じゃなくてだな」
「涼くん、見たくないんだ・・・」
姫宮、何故そこでそんなに残念そうな顔をするんだ。

「別に見たくないわけじゃない。皆の予定とかがだな」
順に周囲の顔を見回しながら言った。
「やっぱ見たいんじゃん。エロ涼めー」
うりうり、と更に激しくつついてきた。

「僕は実家に帰る前ならいつでも大丈夫だよ。海に行ってそのまま帰るのもアリだし」
「私も同じです。まあ夏休みですし、少しくらい羽を伸ばしてもいいのでは?」
「俺はいつでもいいぜ? 涼ちゃんの水着姿を網膜に焼き付ける準備はできているっ!」
「・・・トシだけ、置いて行こうか?」
「お願い、見捨てないでー!」
結局、駄々をこねているのは僕だけだったようだ。

「ふふー」
「姫宮は、用事とか無いのか?」
「無いよ? もしあってもね、無かったことにしちゃうもん」
それは不味いだろう・・・どちらにしろ全員参加になりそうだ。

「んじゃー、今年の夏は海で決まり! 瑠璃ー、あっざみーん、今度一緒に水着買いに行こ」
「そだね、今年はどういうのにしようかな」
「え、絵里香さん! 胸を揉まないでく・・・あぅ・・・」
「うへへへ、あざみんはやーらかいねー。でもこっちは成長してる気配は無し?」
どこぞのエロオヤジか、お前は。

「あれ、でも成長してないなら別に新しく水着買わなくてもいいんじゃね?」
「・・・これだからトシはダメなんだよね」
「うん、デリカシーが無いよ、トシくん」
「ちくしょおおおおおおお!」
日下部は泣きながら外に飛び出して行った。
どうせすぐに戻ってくるだろうが。

「涼くん」
「・・・ん?」
「楽しみだね、海」
絵里香が鈴村に掛かりきりになってしまったので、必然的に僕の頬を独占する形になった姫宮が楽しそうに、微笑んだ。

――その微笑が僕の心を捕らえて離さなかった。

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